京都東山の高台寺へ行って来た。秀吉の正妻「ねね」のお寺です。

こんにちは、美容室ウプスいす。

7月の第一月曜日にねねの眠る、京都「高台寺」へ行って来ました。

「ねね」というのは、天下人「豊臣秀吉」の正妻で「北政所」と呼ばれていたその人で、秀吉が無くなったのちは「高台院」と名乗り秀吉を弔うために「高台寺」を建設。

亡くなるまで、高台寺で過ごしたとされています。

その高台寺へ行って来ました。

 

普通のお寺と一味違います

 

ここ高台寺は、見晴らしのいい東山地区の高台にあり京都の街中が見てとれる景色のいいところです。

近くには、八坂神社や清水寺、建仁寺などの観光名所がありいつも大勢の人で賑わっています。

 

高台寺は、普通のお寺にあるような大層な仏像や観音様といった神仏が無く、サラッとした境内や仏間がかえって清々しいです。

それは、ここ高台寺は「ねね」が秀吉の御霊を弔うために建てたお寺なので、言うなればプライベート寺院?なのだからと思います。

 

こういういい方が正しいのかわかりませんが、ねねの居心地のいい様に作られた隠居住宅と言った方がピンと来るようなところです。

 

高台寺と言えば、庭が特に有名ですよね。

これは「方丈前庭」と呼ばれている「石庭」の様な庭。

きれいにならされた白砂が、アートの様な感じです。

 

白砂のきれいな「方丈前庭」は、本来は朝廷から派遣された勅使をお迎えする所だそうで、小さな小山を二つ作っただけのシンプルな庭なんだとか。

ところが、季節によってこうしてアートの様な模様を作るそうです。

キレイですね。

 

▲こちらは、新緑も美しい庭園です。

この庭園で、月を眺めるのがねねはお好きだったそうで、月を眺める事の出来る「観月台(かんげつだい)」が上の写真の右端に見えます。

 

▲こちらは霊屋(おたまや)。ねねの眠る墓所です。

この墓所の下2mにねねが眠っているそうです。なんだか不思議な感じがしますね。

 

 

豊臣秀吉は天下人となった時に、気心の知れた武将を5人集めて「五大老」という制度を作りました。

毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝、前田利家、徳川家康の五人ですが、秀吉が没した後の天下を取ったのは徳川家康。

 

秀吉の正室「ねね」とは、敵味方同士なのですが家康は何故かねねと気が合ったそうで、秀吉の御霊を弔う高台寺の建設を願ったねねに、家康は部下に高台寺建設を指示したそうです。

そんな歴史ある場所を身近に見れるのが、京都の魅力でもありますね。

 

たまには、のんびりそんな歴史を垣間見るのもいいかもですよ。

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