とても私的な事なので、このお店ブログに書こうかどうしようかと悩んでいたのですが、自分への戒めや備忘録として書き留めて置きたいと思いパソコンに向かっています。
こうして文字にすることで、なんとなく心が落ち着いてここ数日の出来事が受け入れられる様な気がします。
8月20日。午前11時15分。母が入院先の病院で他界しました。
昭和3年1月1日生まれの93才で天寿を全うしました。
心臓が寿命だったみたいで、良く寝ている様な感じでした。
年齢的にはとても長生きしてくれたので、家族としてはとてもありがたく幸せな事なのですが、あまりにも突然の旅立ちだったので今も信じられないと言うのが正直なところです。
入院したのが8月19日の午後。
毎日、母の様子を見に行ってくれていた兄夫婦に呼吸がしづらいと訴えてかかりつけの病院で受診。
そのまま、大きな病院へ紹介されてすぐに入院。
その翌日の午前中に容態が急変し、あっと言う間にこの世を去っていきました。
今は世界中がコロナ禍という中にあり、いったん入院してしまうと面会もままならぬこの世の中。
母が入院する直前に兄から電話連絡を貰っていた時に、その足で一度病院まで足を運べば良かったなぁーと後悔。
まさか、あの元気な母が一晩のうちに帰らぬ人となるとは想像だにしなかったので、本当に悔やまれます。
入院する前日に、孫の「とうか」と実家にいるネコの「まり」ちゃんを見に行って元気な母と会っていただけに信じられないし残念でなりません。
仏教用語で「無常の風」と言う言葉があるのですが、皆さんはご存じでしょうか?
「無常の風」とは、人の命のはかなさを例えた言葉で「きれいに咲く花も一旦風にふっと吹かれるとたちまち花が散ってしまう。人の命もそれと同じ様にいつ風が吹いて亡くなるかも知れないよ」という意味があるそうです。
昨日まであんなに元気だった母にも「無常の風」が吹いて、あっと言う間にこの世を去ってしまいました。
人の命はいつかは無くなると頭では分かっていても、現実にそれを目の当たりにするまで命が無くなるなんて考えもしません。
まさか明日死んでしまうと考えて生きている人は、自分も含めていないと思います。
人間とは勝手なもので、自分は死なないと思って生きています。
「死ぬとしても今日じゃないよね」って生きています。
明日になればまた、「今日は大丈夫」と無常の風の事を忘れて生活しています。
そうやって、「今日は大丈夫」「今日は大丈夫」って毎日生きているうちに無常の風が隣で吹いている事すら感じなくなってしまいます。
若い人でも年寄りでも、男でも女でも無常の風がいつ何時に自分に吹くかもしれない。
自分じゃなくても自分の愛する人に吹くかも知れない。
そう戒めて、日々精一杯生きていきたいと思うここ数日です。
母は大阪生まれの人なのでいつも朗らかで、大阪弁で良くしゃべる人でした。
口が達者で、しゃべれないなら生きていても仕方がないってくらい賑やかな人で、一人でずっとおしゃべりしていました。
おしどり夫婦で、昨年の2月に他界した父といつも一緒にいた母。
「淋しいからお前もそろそろ来いや」と言って母を連れて行ったのかもって兄や姉が言うほど、いつも仲良くしていた父と母。
いつこの世を去っても良いように、一生懸命悔いのない様に生きろよって言ってくれている様に思います。
両親を手本に、家族仲良く日々生き抜きたいと思う今日この頃です。