こんにちは、美容室ウプスのいすです。
今週末に、またまた寒波がやってくるという天気予報ですね。
この間の寒波の時は、雪が結構降って大変な目にあったので今回はさらりと寒波が行ってくれることを祈っている今日この頃。
ところで、自分は今こうして美容師としてお店で働いているのですが自分が一番最初に美容室へ髪を切りに行ったのは高校1年の冬休みでした。
行った先の美容室は自宅近くの美容室で(美容室というより美容院と言った方がしっくりくるような)いわゆるおばちゃん美容院です。
うちのおかんも、姉もそこへ行っていたので自分も行ってみたいとおかんに連れられて初めて美容院なる所へ行きました。
いつもは、これまた近所にある散髪屋さんに行って散髪と顔そりをしてもらっていたのですが、高校1年の冬にどうしてもパーマをかけたくてそのおばちゃん美容院へ行ったというわけです。
初めての美容院は、散髪屋さんと違う匂いがして女っぽいというか香水の匂いというか散髪屋のヘアトニックの匂いとは明らかに違う香りがして衝撃的でした。
中学の3年間は、自分たちの時代は強制的な丸坊主の時代。3年間、3mmから5mmの坊主頭で過ごした反動で中学を卒業してからひたすら伸ばして、冬の頃にはようやくパーマもかけれる長さになりました。
自分的には、満を持してのパーマです。
当時流行っていた新御三家の一人「西城秀樹」の写真を、これまた当時流行っていた「平凡」というヤング雑誌から切り抜いて自分が西城秀樹になったイメージを膨らませて楽しみにそのおばちゃん美容院に行ったんです。
当時は、西城秀樹・郷ひろみ・野口五郎の新御三家がものすごい人気でして、特に西城秀樹は頭一つ抜き出た人気者でした。
西城秀樹の切り抜きを渡して「こんな感じにして」とおばちゃんに注文。おばちゃんは、わかったのかわからないのかあいまいな感じの返事。散髪屋のおやじさんもこんな感じなので「散髪屋ってこんなもんや」と思って、あとはされるがまま。
カットは、その頃流行っていたのか知りませんがカミソリで「シャーシャー」やるあのカット。今は自分もそのカットをしていますが、当時のカミソリって本当のカミソリのような物で髪を切っていました。今とは全然違う物でしたが当時の自分としては「なんてオシャレな散髪のしかたや!」って感動を覚えました。
カットが終わるといよいよパーマ。
当時のパーマ液って、そりゃー臭くって「ゲッ」となるぐらいの臭さ。香水のいい匂いと当初思っていたのは「これやがいや」と気づく事に。
初めてのパーマは、あれよあれよという間にフィニッシュをむかえるわけです。
西城秀樹になった自分を想像して鏡の前の自分を見ていると、どうも西城秀樹ではないような感じ。
「おーい、秀樹はどこ行ったーーー(>_<)」
鏡の中の自分は、パーマのうねりが「グワングワン」なっていてドライヤーとブラシでおばちゃんが一生懸命ブローしてる。
当時は分からなかったんですが、「パーマのかかり過ぎでしょ、これ」的な頭になった僕。
本当に仕上りは↓こんな感じのうねうねの頭になってしまいました(>_<)
「2・3回シャンプーするとちょうどいいのになるわいね」とおばちゃんに言われてシャンプーのサンプルを渡されて返されました。
こうして、苦いパーマ初体験が終わったわけです。
その後は、学校が始まる新学期までの毎日、必死でシャンプーしてパーマが弱くなるようにせっせせっせと洗ったのはいうまでもありません。
ドライヤーの当て方も休み中に勉強して、後ろに流すテクニックも付けました。でも、髪は大きなウエーブでうねったまま。
新学期は、みんなに笑われたのは想像の通りであります。
この日の事は、今も鮮明に思い出されるぐらいインパクトの強いパーマ事件で今後の自分の人生を左右する出来事でした。
今は、自分がパーマをする側に回っているわけですがパーマのかかり過ぎだけは本当に慎重に慎重にやっています。
パーマのかかり過ぎは、こわいです。